2009年9月26日土曜日

不干渉

自分の目の前で誰のものかもわからない自転車が急に倒れた。
多分、風のせい。
それを見ていた人は3組。
自分と家族とカップル(確か)。
とりあえず、自分が自転車を起こしといたが、
(そのまま倒しておくと、車の通行を妨げそうだったため)
他二組は素通りであった。

この時、ふと思った。
現代人の間に少しずつではあるが、
不干渉の精神みたいなものが広がってきているのではないかと。
まあ、今回の一件は誰にでもあることであり、
自分も多分そういった場面で素通りしたことがあるので
他人のことはとやかく言えない。
ただ、このことを通して自分が気付いたので、
読んでいる方にも自分の考えを一緒にスルーしてもらえればと思った。

話を戻すが、おそらく自転車が倒れた時に他の二組が素通りしたのは

「自分がやったのではないから」

という理由からだと思う。
確かに彼らが何か悪いことをしたわけではないし、
誰に責任があるわけでもない。
だから自分がとやかくいう筋合いもない。
ただ、それでいいのだろうか。
自分のことだけ気にして生きていく。
人の世として、それではさびしい気がする。
論理的に考えれば、別に自分のことだけ気にして生きていければ、
それで社会は成り立つ気もする。
でも、どうにも腑に落ちない感覚がある。
それはやはり自分が納得していないからだ。
理想として、人と人は助け合って生きていく。
自分のことだけでなく、他者に対する思いやりを持って生きていくことが、
理想的な人物像だと信じているからだろう。

確かに、今回の一件では誰も困っている人はいなかったし、
誰も被害をこうむらなかった。
しかし、自転車が倒れたことによって、
その後困る人が出るかもしれないし、
事故が起こるかもしれない。
少しの心がけでそういったことを未然に防ぐことができるなら
思いやりの精神を持って、
行動していくべきだと思う。

都会の人ほどそういった思いやりの精神というものを失っている“イメージ”があるが、
人が多い都会だからこそ、その精神を日々発揮していくべきだと考える。

(終わり)

相変わらず稚拙な文章ですが、読んでくれてありがとうございます。
文末(語尾?)を統一するのがめんどうなのでまとまってません。
その辺は申し訳です。
何分、勢いで書き始めるので途中でエネルギーみたいなものが抜けていってる気がします。
まあ、文章は少しずつうまくなればいいかなと思います。

追伸:BAKUMAN全部そろいました。
3巻だけは新品で買ってしまいました><

0 件のコメント: