初めてそれを見た時、驚いた。
そこにたっているのは小さな木ではなく、天にもそびえる大木にみえたから。
今まで盆栽というものは年配者の趣味、
ただの植物を育てる作業と言う風にしか捉えてなかった。
だけど、“本物”はそうじゃなかった。
本当に雲を突き抜けて、そのてっぺんが見えないんじゃないかと思うくらい大きく感じた。
樹齢わずか数年という感じではなく、100年は経っていようかとも思えた。
それぐらい雄大で、神々しさのようなものを感じた。
その時から盆栽には意味があることに気づいた。
どんな想いが込められているのか自分にはわからない。
でも何か感じるものがある。
四季が移り変わる中でも変わらずそびえたつ大木。
それは環境が変わっていく中でも貫き通す意思の強さや芯の強さのようなものを感じる。
もしくはわずか数年を100年と感じるような時の速さ。
あらわしているものは数知れないのかもしれない。
そんなものをあんな小さなものに込めることができる日本人は驚嘆に値する。
アメリカに行った時に
「日本のBONSAIはみんな知ってる。超有名。」
「日本人は一人一つは盆栽を持っているんだろ」
といわれたことがあるが、
それほどまでに盆栽は有名で、世界的に評価されていると思った。
たかが植物に、ただの刀に、ただの庭園に、ただの武術に
様々な意味を見出す日本人とは非常におもしろい存在だと思った。
自分は日本人だけど、日本についてあまり知らない。
こういった日本的なものに触れ、日本というものを知っていく中で
日本というものの目指すべきものやあるべき姿を自分なりに考えたい。
今までの自分はまだまだ生きている世界が狭すぎた。
自分がこうなりたい、自分はこれからどうなるのか、
いつも考えてきたのは自分自身についてだった気がする。
もっと自分を取り巻く世界に目を向けて、
自分を意識しながら全体を見る。
自分から世界を見るのではなく、外から世界を、そして自分を見る感覚。
そこに到達できたら自分はもっともっと飛躍できる気がする。
そのためにこれからはもっと自分の領域を広げていく。
盆栽はその一つだ。
モニター
5 年前
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