今日、筆ペンらしきものを買った
そして絵を描いてみた。
ひとつは一度描いたことあるものを、
いくつかは見ながらなんとなく、
いくつかは全くモデルもなく適当に。
最初のひとつ以外悲惨だった。
ここで思ったことは、経験したことはできるけど、
経験していないものはできないということ。
やっぱり一度描いたことあるものは何となくどういう風に描いたか覚えてて
さらさらっと描けた。
しかし他のに至っては、線がどの方向に向かうかもわからなかったし、
立体感というものが全く出なかった。
最初の一つはものの数分で書いた割に上出来で、よくかけていた。
つまり、いろんなものを上手に描くためには
それだけいろんなものをひたすら描く必要がある。
そして多大な時間を投入することによって経験を得、
描くという能力を修得していく。
“絵を描ける”という状態になるには程遠い話だろう。
経験というのは何かを一回しただけでは経験とは呼べない。
それはただ単に「したことがある」というだけだ。
自分の場合、「絵を描いたことがある」
もし、ここに経験という言葉を当てはめるならば、
「~の絵を描いた経験がある」
絵を描けるという能力にはなっていない。
しかし、「したことがある」を積み重ね、「経験」を積み重ね、
そうしていくうちにそれが能力となり、
果てには特技となるのではないだろうか。
自分には今、履歴書に書けるような大そうな特技というのは非常に少ない。
特技を増やしたからといってどうなんだって話だが、
自分はそれが非常に意味あることに思える。
というのは最近になって、手話を勉強し始めたが、
ちょっとやっただけでも自分にかなりの新しい考えや視点を与えてくれた。
これを続ければ、自分に新しい価値観や気づきをもっともっと与えてくれるかもしれない。
そう考えると、わくわくするし、何より大きい人間になれる気がする。
抽象的な表現ではあるけども、他者理解できる人というのは
そういう視点をたくさん持ってる人じゃないだろうか。
他者を理解するには自分の考えだけでは到底理解し得ない部分というのがある。
それを自分自身ができるだけ視点を増やすことによって、
相手を理解してあげる。
理解すれば、何に怒り、何に悲しむか見えてくる。
そうすることによって、争いを避けれたりするかもしれない。
話は大きくなりすぎてるかもしれないけど、
要は、相手の気持ちを知らず、"I know how you feel." 的な発言はできないということ。
とりあえず、自分はできる限り視点を増やすために努力し、
そのために時間を費やしたい。
そして多くのことを経験して、大きな人間になりたい。
これからもっともっと経験値ためるぞ!!
そいじゃね。
モニター
5 年前
4 件のコメント:
経験こそ一番の財産だもんね。
大切なことは目にみえない。
経験も目で見ることはできないけど、多大な価値を秘めたものだと思う。
話が変わるけど、明日(12日)にフランス、パリであっつー、さとみちゃん、ともみちゃんたちと再会して、通訳係を担当します。
久々に友達に会える、しかも外国でなんて、すごくわくわくするなあ^^
経験を積んだことは少し自信持てる気がします。
自信ない・・・ってきょどる性格ですが(笑)、まだ経験足りないから当たり前って思うようにしてます。
あと”何に怒り、悲しむか””争いを避ける”というのは儒教的な考え方らしいです。異文化間コミュの勉強も面白いですよ~☆
シラッチモンド だよね!!
さーちゃん ああ、フランスいいなあ。俺も行きたかった。さぞ楽しかったことでしょう。
ふかやん(だよね?lol)
自信ってのはあとからついてくるもんだから、とりあえずひたすら努力。努力すれば、常に自分の全力でやれば、おのずと自信はついてきます。頑張れ。
儒教的と言われてもよくわからんわ。そういう倫理とか哲学、宗教的なものはそのうち学んでみたいけどね。
情報サンクス。
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